2014年1月26日日曜日

第一回 シャーロット・ランプリング ×『まぼろし』/大切なものを喪失した女は美しい

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第一回

シャーロット・ランプリング ×『まぼろし』/大切なものを喪失した女は美しい  



 みなさんこんばんは。今日は記念すべき第一回ということで、私が担当するこのコーナーでは世界の名だたる女優たちから女のあれこれを学んでしまおうというざっくばらんとしたコーナーです。で、第一回目ということで、好きな女優さんはたくさんいますが、女たるもの色気を学びたいもの。大人の女と言ったらフランス。そこで第一回目にまずはフランスの大女優、シャーロットランプリングさんから女のあれこれを学ぶことにしました。 シャーロット・ランプリングといえば、何の映画が印象的でしたか?何を最初に観たか、とかいろいろとあると思いますが、私は何と言っても彼女を知るきっかけになったフランソワ・オゾン監督の『まぼろし』。当時中学生でした。横浜のジャック&ベティに一人で行ったのを覚えています。2000年フランス制作ですが日本での公開は2002年。仏・米ともに大ヒットだったようだけど私が行った時は空いたような。あ、平日だったからかな。 この映画がきっかけで彼女の存在を知った私ですが、この『まぼろし』は愛の喪失の仕方というのか受容というのか、長年連れ添った夫がバカンス最中の海で突然いなくなってしまうという話なんですが妻を演じるシャーローットがすごく艶っぽい。よく、喪に服した女性の姿が美しく映るなんて言うけど、まさにあれ。映画の中で実際に夫はいなくなってしまうわけなんだけど、なんというか彼女っていつも何かすごく大切なものを失ったような目をしてるんです。そこに低めの声が更なる説得力を与えるというか、ものすごい知性を漂わせています。頭のいい女の悲しみとでも言うべきか。

 恋愛なんかでもそうだけど、黙って色んなことを受け入れられることほどぐっとくることはありません。それに気づかないような相手はそもそもご縁がなかったってことで苛々する必要ないと私は思います。なんでなの?とかどう思ってるの?本当は?なんて質問攻めにされるとガッカリ。いくら愛情が深かろうといつもじーっと見つめられていたら気味の悪いもの。時折愛情を持って見つめてくれるからこそドキッとします。愛があるならほどよく放っておいてくれ、黙ってくれってことです。沈黙の間にこそ相手のことを考える時間ができるのだから。だからあれなんですよ、黙って受け入れようとすることは当然相手のことを知る、詮索するってことじゃなくて知らないことまで含めて、愛すること。知らないこと、自分が知り得ないこと、喪失すること。相手という他人を目の前にして相手に対する自分の限界を受け入れるということ。単純に大事な人を失くしたとか死別したことが喪失ではないんですね。そっちの方が分かり易い比喩表現なだけ。『地獄に堕ちた勇者ども』で23歳にして30歳で二人の子持ち役をヴィスコンティに抜擢された時、一度は断っているそうですがヴィスコンティは「何でも見透かした哀しい目」と言ったそうです。「その目があれば大丈夫」とも。ああ、素敵ななんて表現なんでしょうね。

 プライベートでも随分スキャンダラスな女性だったようですね。夫と恋人と3人で同棲とか、マスコミは騒いだようだけどまあお構いなしだったようです。愛なんて当事者同士が分かってれば2人でも3人でもいいじゃないの、と思うけど、動じない彼女はやっぱりステキ。スキャンダラスな恋と言えば大島渚監督の『マックス、モン・アムール』。チンパンジーと人間の愛についてのセンセーショナルな物語です。今年日本で4月に公開されたレオス・カラックス監督の最新作『ホーリーモーターズ』でもこの作品へのオマージュシーンがありました。こちらも今年公開のなかでも特に素晴らしい作品なのでオススメ。 今回彼女から学んだことは、受け入れて限界を知る=喪失して生きることでぐっと色気を増すのだということでした。『まぼろし』自体はとても静かで色っぽい映画です。これから秋に差し掛かる夜にワインと合わせて観てみてはいかがでしょうか。


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